なぜメモをとるのか。

a-sideでは、「メモの必要性」にちなんで、メモを書くための「動機付けを物的に強制するために、書きやすいペンと書きやすいノートが重要になる、というのはあながち間違ってはいない」なんてことを書いたが、これは私にとって目下の重要問題である。
ノートは、この3年ぐらいは、ストックしておいた「ミケルリウス−miquelrius」の「NOTEBOOK ECO4」を使っている。たしかに、ノートの罫も含めたデザインはかっこうよいのだが、いかんせんエコの極致をいくため用紙の質がかなり悪く、鉛やインクの載りが芳しくない。長く書いているとだんだん意欲が減退してくる。ただし、自家在庫がきれたあとは汎用的な「ミケルリウス」のスパイラルノートが待機しているため、この問題は解決していく(完全に在庫が切れるその後が問題だ。「ミケリウス」を販売しているショップがかなり少なくなってきた)。
頭がいたいのはペンだ。どうも、最近はしっくりこない。いまは、ドクターグリップの4+1というのを使っている。シャープペンシルとボールペンの手軽な組み合わせは確かにかなり便利だが、しょせん普通のボールペンなので書き味がよくない。それこそ大枚をはたいて、セレブリティが持つような万年筆でも買えばいいのだろうけれど、その目的がアクティブで乱暴なメモ書きなので役不足だし、いちいちキャップをはずさなければならないというのは、迅速さが要求される現場においてはノックアウトファクターだ。最近のヒットは、ロットリングのCOREシリーズで、これはアクティブに乱暴に扱ってもよいつくりの万年筆なので、ある一定の期間は重宝した。しかし、わりと短い試用期間でボロボロになってしまったので捨ててしまった。もう廃盤になっているのかもしれないが新たに一本買い求め、これにステッドラーの製図シャープと、ローラーボールのような赤ペンの3本を組み合わせ、持ち歩くのがベストなのだろうか。3本を胸ポケットにいれるのはきついな。