専門性。

A-sideでは能天気に「専門性」みたいなことを書いてみたけれど、じつは、ビジネスにおける文系の専門性というのはあいまいで、属人的だ。ここでもクリエイティブワークの話になるけれど、例えば、ネーミング。もちろん、自動化されたワード収集のしくみをもっていることや、法的なチェックのしくみを構築しているといったことは専門性の話ではあるが、たとえそういったものを整備していたとしても、いわゆるヒットネーミングが必ず生成されるか?というと脆いところはある。うちの会社では、過去これだけのヒットネーミングを作成しています、といったところで、次に最良のアイデアが提出されるかどうかはわからない。当然、過去のエクセレントなネーミング例だって、一発で考案されたものは少なく、それこそ100案の後、絞られた5つの案で、もっとも最良な1案をクライアントとの弁証法的な議論によって、こう変えたものがヒットした、というのもあるだろう。いや、ネーミングなんかの場合は、ほとんどの場合がそうに違いない。もっといえば、事業経営戦略のコンサルティングでもおおむねこういったプロセスでしか成果はなしえない。なかには構造化された思考スキルの汎用的なフレームだけを提示して、べき論で押し切るようなコンサルタントもあるだろうけれど、そうなってしまうと、専門性とはいいにくい。
これを考えると、ビジネス文系の専門化は、技術の構造化・体系化に加え、「共同思考」プロセスの体系化のようなものも必要になってくるということか。いわば、プロジェクト・マネジメントということになるのかもしれないが、「プロジェクト」ではいささか単位が大きすぎる。さらに専門性のひとつの拠り所である唯一性も希薄になる。ビジネス文系の専門化についてはを少し継続的に考えてみよう。

[その他のテーマメモ]
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『ウェブ時代をゆく』追記。