雲が晴れない感じ。

仕事は、やっぱりややこしい対話のなかから生まれくるものであって、コミュニケーションをスポイル/遮断して、「べき論」だけで押し切るのには、なんかの拍子で差した後光か、超絶的なプレゼンテーション能力か、神格的な悟性と感性を備えていない限りは無理だと思う。ただし、そうした凡庸で煩雑なコミュニケーションを繰り返すことで、凡庸な俺たちにもティッピング・ポイントが訪れることがあるんだ。
こういうのも雪かき仕事のひとつっていってよいのかもしれない。たいていじたばたしていてかっこう悪いし、自分自身もうまくいえるかどうかまったく確証のないややこしい交渉事を選択しなければならないだろうし、場合によってはひどい叱責を受けるかもしれない。けれど、それでも、ぐいぐい突っ込んでいって、まあうまく往なせることもあるが、ボロボロになっていったりすることもあってほんとうはイヤだなあと思いながらも、そういうやり方を選んでいく、そんな人の道を照せる人間でありたいと思う。

■買った紙

◎『Newton 1月号』:買うのは20年ぶりぐらいか。きっと竹内先生が亡くなって以来始めてだろうと思う。だいたい毎号、面白いのはわかっているのだけれど、だからといってそんなことばっかりやっていると、ほんとうに時間がなくなるので控えていた。しかし、さすがに「5次元」には負けてしまった。そういうのをテコにして、時間を遡行するのは可能なのか?なんてちんたら考える時間はほんとうになくなってしまったなあ。悲しいことだ。

◎『ディアスポリス 6巻』:『PLUTO』の“通常版”が出ているかと思って、ABCを覗いたところ、“通常版”はまだのようで、連綿と続く“豪華版”商売にうんざりしていたろころ、ふいに『ディアスポリス』が出ていたのを見つけて、すべてを許す気になった。ロシア(ンマフィア)がらみの話の続きからの巻で、今回も泣かせてくれる。しかも武術をシステムという、スペツナズが生んだ格闘技「システマ」の詳解もあってかなり楽しめた(ちなみ、ウィキによるとシステマは「徹底した構えの脱力とスピーディかつ柔らかな動作が特徴」。このあたりは、『ディアスポリス』で正確に伝えられている)。なんらかの情報があり、ファクト/取材に基づくマンガはやはり面白い。マンガだけとは限らないけれど。ところでABCでは『真説 ザ・ワールド・イズ・マイン』の全巻がなぜか平積みされていて、きっと最近でたわけではないんろうけれど、その物量は圧巻であった。というか読んでいないので、まとまった資金が調達できたら購っておこうと思った次第。ちらっと6巻の最後だけ見るという悪行により、その決意は確信に変わった。