雪に叫ぶ。

最初にことわっておくけれど、以下に続く話は、誰かに怒りをぶちまけたい、といった内容のものではない。かなりヘビーな道中記であるが、はじめからわかっていたこともあり、終始、無力感と徒労感に支配されていたため、ほとんど怒りという感情がわいてくることはなかった。もちろん、まわりにいた幾人かは怒っていたが、その怒号罵声を横で聞いていた私に生まれていた感情は、「その人に、このタイミングで怒ったってなにも問題は解決しないんだよ」という諦念であった。
おそらく、それは、監禁蹂躪のはてにあるあきらめ感に近いものかもしれず、人をコントロールしようとすれば、ほんの少しだけ五感を圧迫し、その労働を行わねば問題は一歩も先に進まないが、さりとてその労働のゴールはずいぶん先にあるという果てしない労働を与えれば充分なんだ、ということが実体験できた。

なんのことかというと、新幹線のことである。言うまでもなく、雪のことである。この世界有数の最新鋭の交通システムは、基本的にはとてもたよりない。もちろん、それは、新幹線の脆弱さを端緒とし、そこから玉突き的にはじまる日本最大の電鉄会社ほかの連携のもろさを、いまいちど再確認することにほかならないが、責任すら玉突き的に後工程に渡してしまうのはいかんともしがたい。その爆弾リレーのうやむやのうち、いったい誰に文句をいえばいちばん正しく通るのかよくわからなくなってくるのがなによりやっかいだ。

結論から言うと、22日(木)帰阪の途につくため19:32分にすでに5分遅れで品川を出発したのぞみに乗り込んだ私が、自宅に到着したのは26:30分。何時間だ。えーと7時間か。凍てついた手足のしびれは、どれだけ熱い湯船に浸かってもしばらく癒えることはなかった。

ふだんの3倍かかった道中のうち、じつは、新幹線の遅れはまったくといっていいほど苦にはならなかった。それこそ、最初のうちは、久しぶりに珍しく仕事に追われることのない復路だったので、ブルース・スプリングスティーンのソロ・アコースティック・ライブのDVD『ストーリーテラーズ』*1をみたり、宮沢章夫『「資本論」も読む』なんてのを愉しみながら、少しくらい遅れてくれたほうがゆっくりできていいや、くらいの甘い見積もりをしていた。だから、三河安城の手前1kmのところで、1時間ほどみじんも動かなかったときでさえ、まあ乗り継ぎの地下鉄の終電に間に合うんだからと、まったくあわてていなかったわけだ。ただ、さすがに、こんなに時間があるのに仕事しないというのもなんだなあ、と思い、連休中に予定されていたパワーポイントのプレゼンスライドのストーリーなんかを考え始めた。

ようやく動きだした列車が、当然ながらだらだらと徐行で名古屋をすぎ、岐阜羽島にさしかかったあたりで、見事に仕事も完了。社内のアナウンスによると、23:45分くらいに新大阪に着くとのことだったので、おっ、まだ地下鉄の終電に間に合うなあと、先週ipodに投入したビーチ・ボーイズ『ペットサウンズ』なんかにあわせてふんふん鼻唄を歌っていた。

ところがどうだろう。予定されていた京都着の時刻を過ぎているにもかかわらず、なかなか米原につかない。その時点で終電への乗り継ぎの望みがあえなく立ち消えた。かくなる上は、降りてからの対策を講じなければならない。そんなことだから舞城の『ディスコ探偵水曜日』の第2部*2も頭に入らず、もちろん青山真治の『サッド・ヴァケイション』*3を読むエネルギーも創出できず、新大阪着後の自分をイメージし作戦をねり始めた。

普通なら、奥さんに車で迎えに来てもらうのだが、どうやら大阪は雪が積もっていて、車の運転もままならないと聞く。そうするとタクシーしかないわけだが、こんな状態で終電に乗りそびれた人がたくさんいるとなると乗り場はパニックになっているはずである。いや待て、JRは、きっと仮眠列車を用意するはずだろうから、たとえば、堺や神戸といったそこそこ遠い人はそこに自らを格納する可能性もある。また天下のJRのことだからさらに機転を利かせて、在来の終電を延長したとしたら、たとえば大阪駅や尼崎などちょっとしたところまで家路をつめる人もでてくるだろうから、タクシー待ちが分散される可能性もある。なんて、ポジティブなシナリオというか妄想をどんどん膨らませた。

楽しい予想を考えられるだけ考えて、いっぽうでもはや抵抗しても、なるようにしかならないとあきらめ、思考を停止した。結果、京都を過ぎたのは24:00すぎで、新大阪着は24:20分。走って降車する人もいたが、こっちは、スーツケース台車なのですばやく動くことはできないし、さきほどのポジティブ仮説によると、タクシー待ちなんてたかだかしれている。さらには、ここで走っても着順はそんなに変わらないよ、とクリスマスらしくポジティブ天使がささやいたので、通常どおりにエスカレータで改札ロビーにおりた。

当然だけど、構内はごったがえしていたが、なんだか「払い戻し…」と小さくささやくアナウンスがあったので、そちらのほうに行ってみると、チケットにはんこをおしてくれるようだった。こんなはじっこで地味に店を開いたら気づかない人もでてくんじゃいないの?と思いつつ、また払い戻しなんてあきらめてタクシー乗り場に向かったほうがいいかなあとも懸念しつつ、気がついたらはんこがおされていたので、まあいいかと思い改札に向かう。

改札をでる。駅舎をでる。その瞬間に、一連のポジティブ妄想が、けっこうものすごい音をたててくずれた。気がついたら、さっきまでそこにいた、ポジティブ天使は空の遠くに、ほくそ笑みながら逃げ去っている。
だめじゃんぜんぜん。タクシー乗り場は、いちばん最初にちらっとだけ予想した絵そのままに長蛇のパニックになっていた。列の最後尾がどこかもわからない。ざわめきから情報を救い出し、列を発見しようやく並べたものの、どうやら複数列あるらしいことがわかってきて、ぷらぷらしていたJRの職員を捕まえ聞いたところ、自分の並んでいるのは「近距離」の列だということがわかった。うん正解!たぶんわたしの家はこれら大量に並んでいる人からみれば相対的に近距離だろう。まちがって中長距離なんかのタクシーにのって、運ちゃんと喧嘩するのもやだし、ひとまず安心だ。

安心?って…。こんな状態になっても能天気にポジティブシンカーを気取っている自分にあきれることになるのは、これから2時間後のことだ。

近距離といわれて並んだものの、列はいっこうに前進しない。わかる人にはわかると思うが、この時点でのわたしのポジションは、新大阪駅2階ターミナルの東端にあるタクシーのりばを起点としちょうど駅舎の半分くらいのところ。後続の列車も、どしどし到着し、列はさらに長くながるが、「近距離」の列はまったく停滞している。その他の距離もさほど進んでいるようではないが、微妙にペースが違う。このペースに差がではじめたころ、つまり中長距離の列が回転しはじめた1時間後くらいに、まわりでは「いったい近距離ってどれくらいのことを示すのだ?」という声が広がりはじめる。「3kmまでらしい」とか「淀川、神崎川を越えない」距離とか。なんだよ、それならおれって中距離でいけるじゃん、と思いつつも、ここで列を変えるのが正しい選択かどうか判断できない。

そういった判断力を低下させているのが、この寒さだ。この寒さっていっても想像できないかもしれないけれど、個人的な感想としてはニセコ比羅夫でふぶかれたときにつぐ寒さで、つねにガチガチ震えている末期状態。手も足も痺れ、気も遠くなってくる。今年一年、何度もipodに救われたが、さすがにこのときばかりは、聞いていることすら鬱陶しくなってきた。鞄をあければすぐそこにある『「脳」整理法』なんてのも、場合によっては偶有性ってことで救われるかもしれないけれど、もちろん読む気にもなれない。こうなったら損しようがなにしようが、もうここで並び続けてやる。

まったく正しくない選択である。おそらく有事のときには、こんなふうに望みを失ってしまった人ほど救われないのだろう、ということに気づきながらも、体はまったく動かない。並び始めの段階で正確にアナウンスしてくれていたら、とか、最初から2時間待ちってわかっていたら歩いて帰るという選択肢もあったのに、とか考えるが1時間半も並んだ今となっては、むなしいだけだ。この1時間半並んだという行為をなんとか正当化し称えなければならないと思うと、いまさら列も変えられない。

となりで、駅員に向かって怒っていた男もどうやら判断力が鈍っているらしくて「私たちは、もうここまできているからいいとしても、この後で1000人以上並んでいるのではと思われる人たちに、おそらくはそのなかには小さい子どももいるだろうから、しっかりアナウンスしないとだめなんじゃないか」と、いっぷう人民の利害を代表するかのような弁舌を行っていたが、自分たちが2時間以上並んで、すでに1000人待ちという未曾有の状況が完成してしまったタイミングで発言したのでは、なんの問題解決も示唆しない。怒られている駅員も、いったいこの人は何がいいたいのだろうか、と訝ったに違いない。

26時すぎ。列順が10人くらいに迫ったとき、ようやく、JRの職員が介在し、近距離の「相乗り」指導をはじめる。もう少し早く始めろよ、とも思ったがそれとて30分程度の改善にしかならなかっただろう。たまたま(ほんとうにたまたま)周辺に並んでいた人たちが同じ方向だったので、ようやく乗車。なんでも費用はJR持ちらしく、まあ別にどちらでもよかたんだけれど、考えてみればこれ以前に乗っていた人は自腹なわけだから、この不均衡はやや問題かもしれない。相乗り代と考えれば説得はできるか。運転手さんに聞くと、これなら「充分中距離だよ」とのこと。さらに「こんなときくらい距離別の列なんてなくしゃいいのにね」と、きわめてまっとうなご意見。もうひとつ「並ばずに、新御堂筋の下まで歩いてきて流しを捕まえようとしているお客さんもいるけど、そんなの私ら絶対止まんないからね」と。結果的にいろいろ勉強になったわけです。

おさらいすると、新大阪駅でタクシーパニックになったときは
(1)まず、あせって並ぶ前に、何時間待ちかとか、列の意味をしっかり確認する。
(2)それ以前に、文句があるなら、この時点でしかりプレゼンする。
(3)もう具体的に言ってしまうが、桃山台は充分中距離(3000円がラインか?)
(4)「流し」を捕まえようとズルしても基本的にはタクシーはとまらない。

そんなところですかね。でも、私たちの後に並んでいた、ものすごい量のひとたちはいったいどうなったんだろう。

*1:たとえば、『Devils+Dust』の詩を1行づつブルース自らが解説していて、なかなか興味深い。もっともLIVEとしては、やはり『明日なき暴走30TH ANNIVERSARY EDITION』のハマースミスオデオンの映像のほうが楽しめる。75年のLIVEなのでどうかなあと思っていたが、セットリスト・演奏とも、場合によっては過去のDVD映像のどれよりもっともブルースとEストリートバンドらしい。これを見てやはりおれは「Tenth Avenue Freeze Out」がいちばん好きだなあと実感した。「Detroit Medley」が聞けるのもなおよい。もちろん、音質・画質ともすばらしいリマスターだ。これについてはあらためて感想を書いてみよう。

*2:失速していない舞城を読めて安心した。以前、中途半端な意見を書いていたけれど、第3部がいつおろされるのかわからないけれど『ディスコ探偵水曜日』については、あらためて感想を書いてみよう。

*3:あまりにいそがしくてブログがまったく更新できなかったわけだけれど、その間、青山真治に、はまっていた。『ホテル・クロニクルズ』のあとすかさず『死の谷'95』を読み終え、こりゃいいやと思い、『サッド・ヴァケイション』の掲載された『新潮』のバックナンバーを探して手に入れた。これについてはあらためて感想を書いてみよう。って、いつ書けるかわかんないけれど。