くるりの『NIKKI』。

残念ながら、くるりは、ぼくの蝕から少しズレてしまったようだ。いやそんなことはない、と思って、『NIKKI』を昼夜問わず、移動時間も含めて聞き込んでいるんだけれど、どうもピンとこない。昨晩もベッドで寝音として聞いていたが、少しいらいらしてきたので、思わずホイールで『TEAM ROCK』に合わせ変えてしまった。

今年にはいって怒涛のようにリリースされたシングルは、すべて抑えてつつも、少しづつ違和を感じていた。それらは、ある視点に立てばたいへんくるりらしくはあるとしても、楽曲のアイデアという点でのくるりらしくなさについて、多少なりとも物足りなさがあったということになる。
いっぽうで、2005年のベストアルバム賞をあげてもいいんじゃないかと思える『ばらいろポップ』といった企画もこなしていて、媒介としてのくるりの力の偉大さも感じていた。

もちろん『NIKKI』のそれぞれの曲についても、オリジナリティは高く、おそらくずっと昔からくるりを聴きこんでいる人にとっては、たいへん貴重なものに違いない。岸田自身も、ROCKIN' ON JAPANを、キーワード読みする限りでは、これまでのものから一皮向けたことに絶大なる自信を獲得したようだし、これこそがPOP、R'n Rという宣言も正しいと思う。これまでの作品は楽器のテクニックにこだわった部分が多かったが、今回は純粋に歌いたかった、という自らの解説どおりの作品群にもなっていて、そのシンプルなつくりも好ましい。

したがって、戯言はあくまでもぼくの蝕閾の狭さだけの問題だ(蝕閾なんて言葉はないと思うけれど)。

そこでポイントになってくるのが『アンテナ』だ。『アンテナ』こそをくるり、という人は少ないと思うが、じつはぼくはそのマイノリティのひとりであり、もし『アンテナ』をベンチマークとするなら、『NIKKI』に対するぼくの苦悶はわかってもらえるに違いない。クリストファーがバンドを去ることに懸念をしていたが、まさにそのとおりの事態になった。つまり、クリストファーのドラムそのものがくるりにとって異質であり、そこで演じられていた重みはあくまで期間限定的なくるりだったのだろうか。

しかし、『アンテナ』のそれぞれの曲がもつマイナーな影こそ、もう少し大げさに言うなら『アンテナ』を頂点とするそれまでの作品のマイナーな影こそ、ほんとうの意味で他にはないオリジナリティをもつPops & Rock'n Rollではないか、考え方にもうなずいてもらえるかもしれない。「Long Tall Sally」が、「Race」のような展開にならなかったことを、残念に感じるべきなのか、新しいと評価すべきなのか。それとも、暗さを明るさというオブラートで包んだ巧さと評価すべきなのか。

そしてアイデア。そこにある「お祭りわっしょい」は、たんに変な曲であるという以外のなにものでもなく、「水中モーター」や「GO BACK TO CHINA」には遠くおよばない。現在おこなわれているツアーでは、オープニングナンバーとしてセットされていて、それはそれで盛り上がるんだろうが、どうも知恵が足りないような気がする。

これまでも実験的なことを繰り返してきた彼らだから、そのバリエーションのひとつとしてとらえることもできるわけで、その実験のひとつとしては、つまりポップスのアルバムとしては、シンプルだし、気持ちのいいギターアルバムだし最良であることは言うまでもなく、それならもう少し、フィル・スペクターぽくあってもいいかなあ、と思った次第である。