高校生のため?いえいえ。


たとえば、エクリチュールとか現存在という言葉・概念を、いまの高校生諸君はクラブ帰りのコンビニなどで友だちとの会話に混ぜているのだろうか。時と場合によっては「頭のなかがカオスだ」とか「性的エントロピーが増大している」とは言ったりするかもしれないけれど、「アプリオリな運動神経だよ」とか「先生、残念だけれど、その表象は過っていますね」とか「まさにポストモダン的なスポーツ飲料だね」とか「おれはパトスに襲われてる」と話したりしているのだろうか?まさか。


僕自身は、『高校生のための評論文キーワード100』中山元ちくま新書)に、とりあげられている概念のほとんどを、きっと高校生のときには知らなかったはずだし、知る由も、知る術もなかった。いまだって、エロス、タナトス、外延、差異といった概念を正しく理解できていないだろう。しかし、中山元によると「ここで選んだ100項目は、実際の試験で使われた文章に頻出する用語や、あらかじめ知っておかなければ理解しにくい用語を中心にしている」ということなので、まあ先にあげた例のように日常的には使わないとしても、大学入試など高校生の本分の場では乱舞しているらしい。


これは凄いことだ。この20余年の間に知は加速的に進化している。ってなことはなく、きっと僕が高校時代にもこういった思想の言葉はしかるべきろころでは舞い踊っていたに違いない。ひょっとしたら、僕自身ノートに書き写していたということもありえる。そう、たんに忘れているだけなのだ。


そりゃあそうだ。ごく普通のティーンエイジャーにとっては高校生活が自分のすべての世界であって、そこでは、思想・哲学書の言葉は必要ない。これは、たとえ学業面で優秀な高校生であっても同じだろう。ことの本質を理解できているのは、ごく一握りの思弁的な人たちに過ぎない。


しかし、社会に出でてさまざまなコミュニケーションを体験していると、たとえ日常的な生活においても、ここで挙げられているような言葉をとりあえずでも使わないと説明できないことが結構あることがわかってくる。もちろん、実際に使ったとしても受け手に認識がなくコミュニケーション不全に終わることも多いし、ときには、わかりやすい言葉を使えない阿呆な衒学野郎といったレッテルを貼られることもあるだろう。そういった意味で、ここで提起されている概念を積極的に直截に会話の言葉やドキュメントの言葉として表現することはないが、物事を考える思考プロセスにおいて、いったん哲学の概念に係留させておくと、筋道がつけやすくなり、コミュニケーションのヒントが与えられることもままある。


『高校生のための評論文キーワード100』とタイトルされてしまうと、どうしても受験の虎の巻のように思えてしまうが、じつのところはだれが読んでもいい本で、むしろなんだか最近頭の中がすっきりしない僕のような人間にはうってつけだと思えてしまう。


なにより大きなポイントは、この本は読み物として面白いということだ。筑摩のWEBの近刊予告で見たときは「また高校生のアンチョコかよ」と思って買う気もなかった。しかし、書店で手にとってみると事典としての有益性に惹かれ、実際に読み始めていると、それだけでなく、読み入ってしまっている自分に気づく。いうまでもなく中山元の筆力に負うところが大きいのだが、それぞれの用語・概念が、ハイパーリンク的で拡張的な説明に支えられており、そのダイナミズムで飽きさせないという点も見逃せない。


紹介されている概念は、上記マーキングのほか、アイデンティティアイロニーアウラアレゴリー、一元論と二元論、エートス仮象カタルシス、貨幣、還元、グローバリゼーション、現象、構造(ストラクチュア)、コンテクスト、自律、贈与、テクスト、認識論、ポストコロニアリズム、模倣(ミメーシス)、民族と民俗、唯物論など。どうですか、高校生にはもったいないでしょう。


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